★安曇野の人々は海からやってきた⑰日本と中国、朝鮮半島★

チャック・スパ朗(Thuck sparrow)

2013年11月03日 18:09


志賀海神社にて、巫女から譲り受けた秘密の文献を早速開いてみた。








…ついにここに、安曇族に関する隠された謎を解く鍵が書かれているのだな…('ー')








文献を開くと、まずはじめに、こう書かれていた…。






『佳奈ちゃんの"ふくおか・あづみの交流物語』








…。





…(^^;)




…うむ。これは…読みやすい。学の無い海賊の俺でも理解できそうだ!!




俺は文献を読みすすめていく…。




『もうすぐ福岡空港に到着します。との機内放送に、佳奈ちゃんは目が覚めました。真下に広がる海には博多湾を玄界灘からさえぎる「海の中道』が腕のように伸びていてその先端に佳奈ちゃんが住んでいる志賀島が橋でつながっています。それから、飛行機はどんどん高度を下げて福岡のビルの上を滑るようにして空港に到着しました。佳奈ちゃんは、志賀島小学校6年生。夏休みに東区役所が…。』




…。



俺はさらに読みすすめた。


これを読んでいくと、おじいちゃんと呼ばれる老人が、佳奈ちゃんに伝説を語りついでいるようだ…。



おじいちゃんの話りによると…




●大昔に志賀島の人々が安曇野に移り住んだ
●その言い伝えは志賀海神社の阿曇宮司から聞いた。
●あづみ族は、志賀島を拠点として、船の技術や海の事情に詳しい海洋民族であった。


ことがわかる。


そして、さらに新しい情報が!!


そのあづみ族は、今から2500年くらい前に、中国の江南地方から渡ってきて住み着いた!!

という説がある。


大きな地図で見る




そして、江南地方は米の原産地とも言われており、日本に米の栽培技術をもたらしたのもあづみ族だという研究者もいる!!

さらに読みすすめていくと…。


それらの諸説の根拠となるものが、この志賀島で発見されていたのだ!!

それは


『金印』


というものらしい。


この金印は、その昔、中国の皇帝が当時の日本の王に授けたものらしい。
それは、数々の歴史書にも書かれているらしい。


また、あづみ族が活躍した弥生時代から、九州、中国大陸、朝鮮半島の間では、よく人々の行き来があった。
その当時、日本では銅や鉄がとれなかったので、朝鮮半島から金属の材料をもらっていろいろな道具をつくった。

また、日本最初の国史といわれる『日本書紀』や『万葉集』にあづみ族の話がいくつかでている。



…万葉集!?

そうか!! 万葉集というのは、日本の歴史を解くのに重要な文献だったってことか!!

日本書紀には、白村江(はくすきえ)の戦いで活躍した『あづみ族の比羅夫(ひらふ)』のことが書かれている。


この比羅夫の石像が、今の穂高神社に鎮座しているのだ!!



そして、比羅夫の命日に、穂高神社で『御船祭り』が行われている。

穂高神社の穂高見神(ほたかみのかみ)は、志賀海神社の神である『綿津見神』の御子神になっているのだ!!

志賀海神社では『山ほめ祭』が春と秋にある。これは山に感謝する祭りだ!!

志賀島と安曇野は遥か昔につながっていて、日本と中国、朝鮮半島との間で交流が行われ、あづみ族によって日本の鉄や稲をつくる文化が始まったのだ!!
そしてあづみ族は、日本の各地にその足跡を残し、最後に長野県の安曇野に永住したのだ!!



…。


…まさか、こんな展開になるなんて。



…正直、まったく予想していなかった(^。^;)



俺はただ、新宿の預言者の言葉を信じ、安曇野にきただけだったのだが…。




これは、俺に託したい、何かのメッセージなのかい?


海神(わたつみ)の神様よ…。









…しかし、いろんな謎は解けたが…。










カリブ海の海賊と何の関係があるのか!?w( ̄△ ̄;)w







…つづく

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