2013年11月03日

★安曇野の人々は海からやってきた⑱金印公園★

志賀島には、

『金印公園』

とよばれるところがある。

先ほどの文献の中で書かれていた、その昔、中国の皇帝が日本の王に送ったものとされる。

俺は行ってみた。





大きな地図で見る


自転車を使い、潮風を感じながら海沿いの道を快適に走る。

ああ、潮風が懐かしい。

海賊時代を思い出す。

★安曇野の人々は海からやってきた⑱金印公園★
さて、金印公園についた俺は、ここの石碑に書かれている文献を読んでみた。



1784年、『漢委奴国王』としるされた金印がこの地「志賀島」で発見されました。後漢の光武帝が倭の奴国の使者にあたえたと伝えられ、これを記念した公園です。

…ちなみに発見された『金印』は国宝に指定され福岡市博物館に展示されているらしい。 

この金印は、一辺の長さが2.3センチメートル、高さが2.2センチメートル、重さが108.7グラムの大きさで、ほぼ純金でつくらえている。
  

★安曇野の人々は海からやってきた⑱金印公園★

純金か…。

手に入れられればかなりの額になりそうだが、実際はとても小さいもののようだな…。


★安曇野の人々は海からやってきた⑱金印公園★


正式には
『漢委奴国王印』
という名前で国宝に指定されている。

中国の歴史書「後漢書」倭伝(かでん)に
「建武中元(けんむちゅうげん)2年(57)倭の奴国貢(なこくみつ)ぎを奉って朝賀(ちょうが)す。・・・光武賜(こうぶたま)うに印綬(いんじゅ)を以てす。」
と書いてあり、弥生時代に最も栄えた国のひとつで福岡平野にあった奴国の王が、
後漢の都・洛陽(らくよう)に使節を派遣(はけん)し、光武帝から贈られたのがこの金印ということだ…。


このことは、弥生時代に海を越えて、日本と中国で文化の交流があったとされる根拠になる!!


そう考えると、あづみ族も中国から渡ってきた民族だったということも否定はできない!


…俺の次の進路は、中国なのかもしれないな…。



…つづく





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Posted by チャック・スパ朗(Thuck sparrow) at 18:57│Comments(0)歴史的建造物
 
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